クルエルティーフリーについて【cruelty free】
みなさんこんにちは🌞
突然ですが クルエルティーフリー という言葉、ご存知ですか?
海外コスメ好きの方なら耳馴染みのある言葉ではないでしょうか。よくウサギのイラストで表示される、アレですね。日本だと 動物実験への反対 という形でよく聞きます。
クルエルティーとは直訳すると残虐性(cruelty)。
先日、友人と話していた時クルエルティーフリーについての話題になりました。
その時の彼女の見解に考えさせられたものがあり、記事を書こうと思いました。
今回もちょっと長くなってしまいましたが、どうぞ最後までお付き合いくださいませ☺️
クルエルティフリーって、企業のポーズ(パフォーマンス)としか思ってない」。
彼女はそのような意味合いのことを言いました。
「そうすることで動くお金があるんでしょう」とも。
うん、無理もない。
彼女が疑ってかかるのもごく自然かと思います。
世の中はきれいごとだけでは回りません。
環境破壊、富の集中、人類の抱える問題の解決には「必要悪」と呼ばれる悪がはばかり続け、その解決の糸口を霧の中に隠し続けています。
でも、実際は真逆なんです。
誤解のないようフォローしますが、彼女は私よりはるかに知的で聡明な人です。
でも確実に私よりも化粧品に興味がない。
この点において、彼女の見解は私と違うに至ったのだと思います。
現在、クルエルティーフリーというワードが一番使われているのはおそらく化粧品業界だと思います。だからこそ私も耳にしていましたし、よく知りたいと思ったのです。
クルエルティーフリーの正当性を語るには、まず
動物実験は本当に必要なのか?という知識が必要です。
答えはNOです。
「人の皮膚につけて安全かどうか、まず動物で試すのは基本なんじゃないの?」
このような考え方の読者さんがもしいれば、すぐに切り替えましょう。それはもう何十年も前に覆されています。
↓ 下記はクルエルティーフリー・インターナショナルによる説明
動物実験は、より早く、より安く、より信頼性の高い動物以外の方法で代替されつつあります。これらの最新の方法は、より人間に近いものであり、従来の時代遅れの動物実験よりも人間の反応をよく予測できることが分かっています。代替法としては、バクテリアのような単純な生物、あるいはヒトの組織や細胞を用いた試験(in vitro試験)、高度なコンピューターモデルや化学的手法(in silico試験、in chemico試験)などがあります。
動物実験がなくても、人体に安全かどうかのテストはできるのです。
なおかつ動物実験より正確・低コストな方法で。
世界ではかなり早い段階から(ドイツが禁止に踏み切ったのは1998年!)クルエルティーフリーの動きがありますが、日本では認識の遅れから悪気なく「動物実験 = 必要悪」として容認している人がまだまだ多く、その認識の遅れが企業の対処に遅れを生み出しています。
私の友達が偽善的だと疑ったのもおそらくその背景があったからでしょう。
化粧品の化学物質を動物の目に垂らしたり、毛を剃って露出した皮膚に擦り込んだり、無理やり喉に流し込んだりします。テストが終わると、動物は殺され、解剖される。
-同サイトより引用
繰り返しますが、クルエルティーフリーの直訳は
「残虐性(cruelty)がない(free)」です。
すなわち動物実験とは、残虐なのです。
「実験」という言葉には「ちょっと塗らせてね、実験させてね」程度のニュアンスしか感じ取れない人もいるかもしれません。認識が正しく広まらないのも当然です。
すこし話が飛びますが、これは「いじめ」という表現が抱える問題に似ていると思っています。「いじめ」が実のところは命すら奪う「犯罪行為」であるのと同じように、「動物実験」は「残虐行為」。
縁あって動物を家族に迎え、愛し愛されて暮らしている人間にとって、この現状は看過できるものでしょうか。
ではどうするか?
ここからは私個人の考えとして書き記します。
さっそく「クルエルティーフリーではないブランド」を買い物リストから絶対に排除する・・・これは違うと私は思っています。
いざ買い物をする際、クルエルティーフリーのブランドを積極的に選びたいのはもちろんですが、だからといって、そうでないブランドを拒絶することが正しいのかというと疑問です。なにごとも変化には時間がかかります。そして資金力も。
今すぐ白か黒かの二択をするのではなく、あらゆる企業、そして法令がこの事実を共有し理想に向けて歩んでいける社会を、私たちの意識の変化で推し進めることができないものか。そう思うのです。
「クルエルティーフリーではないブランド」は、「 『今』クルエルティーフリーではないブランド」だと、信じたいです。
昭和を知る私の視点では、今の時代は昔に比べて随分成熟しています。
ジェンダーも、同性婚も、ライフワークバランスも、全て昔は誰もが問題としてすら見ていなかったことです。今はそれらについて啓蒙している人がたくさんいて、私たちは共に発言し動くことができる。これは幸せなことです。
このような成熟の過渡期にある世界で、クルエルティーフリーに向けた社会の変化は避けて通れないものになるでしょう。
いかがでしたでしょうか。
いつかきっと訪れるクルエルティーフリーな社会。
その共存共栄を1日でも早く実現するために、皆様もぜひ、どのように向き合っていくべきかを考えてみてくださいね!